2018.11.24
マロリーから考える
1909年、ビアリー(アメリカ)に北極点を初到達をゆるし、1911年、アムンセン(ノルウェー)に南極点を初到達をゆるし、当時栄華をほこった大英帝国は、威信をかけて第三の極点=エベレスト=登頂を目指します。その悲願は2回の遠征でも果たせず、1924年に第3次遠征隊を派遣することになったのです。第2次遠征隊でもすぐれた働きをしたジョージ・マロリーは第3次遠征隊にも参加を要請されました。
それに先立つ1923年、アメリカ合衆国で講演活動を行ったマロリーにニューヨーク・タイムズの女性記者がたずねます。
「エベレストがいかに大変な場所か、いかにあなた方の冒険が危険に満ちているかはよくわかりました。しかし、もうひとつお聞きしたいことがあります。なぜあなたはエベレストに登りたいのですか?(Why did you want to climb Mount Everest?)」
それに対するマロリーの答えは、”Because it's there.”
日本語にちゃんと訳すと「そこにそれ(エベレスト)があるからです。」
これを日本では藤木九三氏が
「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるから」と超訳したことから、マロリーの言葉が哲学者の言葉みたいになっていきます。
(だから、これって日本だけで通じる名言です。)
普通に考えると、マロリー氏、女性記者に思いもよらぬ質問をされ、苦し紛れのジョークを飛ばした、、、と思いませんか?
「なぜあなたは槍ヶ岳に登りたいのですか?」って訊かれたら私はなんと答えるでしょう。
もし私がまだ槍ヶ岳にのぼったことがないなら
「いやー、まだ槍ヶ岳登ったことがないんで。」と答えるかも。
マロリー氏もほんとは
「いやー、まだエベレスト登ったことがないんで。」と答えたかったかも。
第3次遠征隊でマロリーはパートナーのアーヴィンとエベレストに挑み帰ってきませんでした。
二人がエベレストに登頂したかどうかは、いまだに答えが出ていませんが、1999年に標高8,100m付近で発見されたマロリーの遺体のポケットから、記録をとるメモは発見されましたが、頂上に記念として置いてくるためもっていった奥さんの写真は見つかりませんでした。
今後エベレスト頂上で、奥さんの写真が見つかったらマロリーはエベレストの頂に着いたといえるかもしれません。
ただし、そうであっても、エベレスト初登頂の栄誉はヒラリーとテンジンに与えられなければならないと思います。
「僕にとって登頂とは生きて帰って来ることです。もし父さんが帰ってこなければ決してやりとげたとは言えないのです」(マロリーの息子ジョン・マロリー)
「もし山に登っても、下山中に命を落としたら何もならない。登頂とは登ってまた生きて帰ってくることまでを含むのだ」(ヒラリー)